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東京地方裁判所 昭和55年(むイ)636号 決定 1980年8月13日

主文

本件準抗告の申立を棄却する。

理由

一  本件準抗告申立の趣旨及び理由は、要するに、被疑者は昭和五五年八月九日午後九時〇分警視庁向島警察署において通常逮捕されたものであり、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由及び刑事訴訟法(以下「法」という。)第六〇条第一項第一号ないし第三号所定の事由が存するのに、原裁判官において、これにより先同月七日夜半以降被疑者は実質的に逮捕と同視しうべき状況にあったものとして、本件勾留請求の前提となった送致手続が法定の時間制限を超過する違法なものであり、かつ、その違法の程度が重大であって、本件勾留請求を違法ならしめるものと判断し、本件勾留請求を却下したのは、前提となる事実を誤認し、ひいてその判断を誤ったものであるから、原裁判を取消したうえ、勾留の裁判を求めるというのである。

二  そこで、一件記録により、本件殺人事件発覚後被疑者の通常逮捕に至るまでの捜査の経緯を検討するに、概ね次の事実が認められる。

1  同年六月二日午前六時ころ、東京都墨田区東向島二丁目三番三号新栄物産株式会社二階事務所内において、同社社長柳澤茂平(当六五年)の頸部切創による失血死体が発見され、警視庁捜査第一課及び同庁向島警察署の係官(以下「捜査官」という。)において殺人被疑事件として捜査を開始したが、被害者と生前賭博のことでいさかいを起していた甲野太郎の指紋が犯行現場に遺留されていたこと、同月一一日以降同人の所在が不明であることなどから、同人が容疑者として浮び上り、捜査官においてその行方を追及していた。

2  同年八月五日、M会幹部乙野次郎から、同人の所に翌日昼過ぎ右甲野が立廻る旨の内報を得た捜査官は、捜査が深夜に及ぶことを懸念し、捜査官の宿泊場所として葛飾区東新小岩一丁目九番一〇号ビジネスホテル「葵」に宿泊予約をするとともに、右乙野と連絡をとり捜査に当ったが、同日中は被疑者を発見するに至らなかったため、同ホテルへの宿泊は中止した。

3  翌六日午後〇時三〇分ころ、台東区竜泉一丁目四番九号所在の右乙野方において、張込中の捜査官二名が、折から同所に立廻った被疑者に対し、柳澤さんのことで聞きたいことがあるので、食事後警視庁本部まで来て事情を聞かせて欲しい旨求め、その承諾を得て、右乙野同道のうえタクシーで警視庁総務部留置管理課第五七号取調室に任意同行し、午後一時四五分ころから煙草、茶などを飲みながら柳澤茂平が殺された件について訊ねたいがその前にポリグラフ検査をしたいと申入れ、その承諾を得て午後二時〇分から四時〇分まで同庁科学捜査研究所心理検査室においてポリグラフ検査を実施したうえ、午後四時一五分ころから前記取調室において供述拒否権を告知し、六月一日、二日の行動等につき取調を開始し、この間、前記ホテルに宿泊の予約継続の手配をした。しかし、被疑者は犯行当日のアリバイを申立て、事件に関係ない旨の供述に終始したため、午後九時ころ取調を打切り、同夜の宿泊先を訊ねたところ、所持金が一五〇〇円程度しかないので、江戸川区松本町××番地の友人丙野三郎方に泊りたい旨申立てたため、捜査官において同人と連絡してその承諾を得、午後一一時過ぎころ捜査官運転の乗用車で同人方に被疑者を送り届けた。一方、取調に進展が見られなかったことから、捜査官の前記ホテルへの宿泊は中止した。

4  翌七日午前七時ころ、捜査官は右丙野方に赴き、被疑者の任意出頭を求めて、乗用車で警視庁本部に同行し、食堂で朝食を与えたうえ、午前九時三〇分ころから昼食、夕食をはさんで午後一一時三〇分ころまで、取調室において取調を実施した。この間、被疑者は、犯行当日犯行現場で被疑者と喧嘩となり、その頸を絞めたり、カミソリを使ったかも知れないなどと犯行の一部を認めたが、その細部についての供述は種々変遷を重ねていた。その後、同夜の宿泊先を訊ねたところ、借金の取立に追われ、家賃も滞納していることなどから豊島区高田三丁目のアパートを飛び出して以来深夜喫茶、公園等に寝泊りしていたが、家族の転居先も判らず、前記丙野のアパートも一日一、〇〇〇円の食事代を払う約束で泊めてもらっており、金もなく食事代も払っていないのでこれ以上行きにくいなどと申立てたので、捜査官が泊るホテルに同宿することを勧め、被疑者から「宿泊代金がなく、しかも泊まる所がありませんので、どこでも良いですから泊まる場所がありましたらお願い致します」旨の「お願い書」と題する書面を徴したうえで、翌八日午前〇時四〇分ころ、捜査官六名が被疑者とともに警視庁本部を出発し、同夜は前記ホテル「葵」二〇五号室の奥六畳間に被疑者及び捜査官二名、出入口側六畳間に捜査官四名が一緒に宿泊した。もっとも、被疑者としては、一旦自分が殺害したことを認めたため同夜は当然向島警察署に留置されるものと考えており、そこで丙野方へ帰ると言い出さず、前記「お願い書」を提出したものであって、仮りに前夜同様帰れと言われれば丙野方に宿泊するつもりであった。

5  同月八日午前九時三〇分ころ、捜査官から被疑者に対し、今日も警視庁本部で事情を聞きたい旨求めて、捜査官運転の乗用車で同本部へ赴き、同一一時三〇分ころより取調室において取調を開始したが、供述内容に殆ど進展がなくカミソリで被害者の頸を切った旨の供述も既に新聞等で報道されていた程度のものであったため、午後一〇時ころ取調を終了し、その後明日も引続き事情を聞きたい旨求めて被疑者の了解を得たうえで、同夜の宿泊先についても、被疑者から金がないのでできるなら刑事さんと一緒でいいから昨日と同じようにお願いしますとの申出を受けて、前夜同様ホテル「葵」二〇五号室に宿泊するに至った。この間の食事も前日同様すべて捜査官において被疑者に無償で給付していた。

6  翌九日も前日同様捜査官運転の乗用車で警視庁本部に被疑者を同行し、捜査官において午前九時三〇分ころより取調室において取調を開始したところ、午後に及んで犯行状況の詳細を自白するに至ったため、被疑者供述調書を作成するとともに、東京簡易裁判所裁判官に対し通常逮捕状の発付を請求し、その発付を受けて、午後九時〇分警視庁向島警察署内で右逮捕状により被疑者を逮捕するに至った。

以上の事実が認められる。

三  右に認定した如く、捜査官は、同月六日午後四時一五分ころ甲野太郎に対し、供述拒否権を告知して取調を開始した後は、同人を、単なる参考人としてではなく、柳澤茂平殺害事件の被疑者として取扱っていたことが明らかである。そして、同夜は被疑者の指示する丙野方に宿泊させているものの、翌七日午前七時丙野方に迎えに行き、捜査官の運転する乗用車で警視庁本部に任意同行して以後通常逮捕状を執行した同月九日午後九時〇分までの間、被疑者は一瞬たりとも捜査官の目を逃れることなく、行住坐臥すべて捜査官とともにしているのである。もっとも、同月七日及び八日の各取調終了時には、被疑者に対し、当夜の宿泊先を訊ねるなどし、同人が希望すれば、捜査官の目の及ばない任意の宿泊先に解放する機会を与えているが、被疑者側の事情からそれは実現に至らなかったのである。検察官は、捜査官との同宿は、むしろ被疑者の望むところであったとして、そのことの故に任意捜査の限界を逸脱するものではないと主張するが、行先のない被疑者に宿泊先を斡旋することは差支えないとしても問題はその態様であり、本件宿泊に用いたホテルの客室は、六畳間が二間続いた構造で玄関は一つしかなく、被疑者はその奥の方に捜査官二名と就寝し、玄関に近い方の間には捜査官四名が雑魚寝するという状況であったのであるから、被疑者が取調からの解放を求めて任意に同ホテルを立去ることなど思いも寄らず、又、取調室までの往復には捜査官の運転する乗用車が用いられ、警視庁本部においては、捜査官の好意によるとはいえ、食事まで庁内の食堂で給付され、食事のための外出の機会もないまま終日取調を受けていたのである。従って、この間の被疑者の状況は、手錠その他の戒具等こそ用いられてはいないものの、実質的には逮捕と同視すべき状況下にあったものと言ってよく、これと同旨に出た原裁判官の事実認定及び判断に所論の誤りはない。

検察官は、同月九日に至るまでは未だ被疑者を真犯人と断定するに足りる確証がなく、誤認逮捕による人権侵害を防止するため慎重を期して逮捕状請求を差控えたことを強調するが、そこまで慎重であるならば、任意捜査の対象に過ぎない被疑者の取扱いには一層慎重を期して然るべきであり、いやしくも逮捕と同視すべきような管理下に置くことは極力避止すべきであったといわざるを得ない。又、検察官は、最近における殺人事件被疑者の自殺事例の頻発及び被疑者の言動に照らし、本件被疑者に自殺の虞があったことを主張するが、自殺防止のためには警察官職務執行法の規定に従った適切な処置をすれば足り、任意捜査に藉口して実質的に逮捕と同視すべき状況を作出することの言訳に利用することは許されない。

四  以上のとおりであるから、本件勾留請求を違法とした原裁判官の判断に誤りはなく、本件準抗告の申立は理由がない。

よって、法第四三二条、第四二六条第一項により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 松澤智 井上弘通)

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